8月6日を迎えて

今日、ヒロシマは原爆投下から67回目の夏を迎えました。
福山出身の私は小学生の時は毎年8月6日に登校し、平和学習を受けました。
小1の時に「はだしのゲン」に号泣し、最後まで観ていられませんでした。
また、小4の社会見学で訪れた平和資料館で眼にした生々しい資料に受けた衝撃は今でも覚えています。

毎年、8月6日に行なわれる平和学習の大切さは幼いながらに感じていたつもりでしたが、正直、その日が嫌で嫌でたまりませんでした
戦争について学ぶ度に、今この瞬間にも戦争が始まって、原爆が落とされるのではないかとおびえ、夜はなかなか寝付けなかったものです。

そんな思いも年齢とともに徐々に薄れていましたが、20台半ばの時に職場の同僚が「原爆の日がいつか分からない」を話しているのを耳にしてショックを受けました。
広島出身ではない同僚にとって祝日でもない「その日」はあまり意味のあるものではなかったのかもしれません。
それでも、幼い頃から戦争・平和を身近に感じてきた私には衝撃的な言葉でした。
その頃からでしょうか、また「ヒロシマ」を意識するようになったのは。

福山という土地柄、親類に被爆者はいませんが、戦時中、海軍飛行予科練習生として呉にいた祖父は、終戦が後半年伸びていたら特攻隊として命を落としていただろうということです。
8月15日の終戦のおかげで、祖父が生き、母が生まれて、私が生まれた。
まさに生かされているなと強く感じました。
またその逆に、終戦が8月15日までずれ込んだために、特攻隊として散ってしまった命、その命に続くはずだった子孫の命が生まれてこれなかったと思うと、無念に思えます。

「ヒロシマ」に生きる者として私にできることはほんの些細なことしかありません。
でも、この思いだけは決して忘れることなく持ち続けていこうと、決意を新たにしました。
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by cmcweekly | 2012-08-06 15:43 | プライベート公開

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